宮本先生がオーボエ奏者としての活動を終えられたのはここをご覧になられる方はご存知の事だと思います。
僕のオーボエ奏者への道は宮本先生から始まりました。そういう方々も実は多いと思います。
ふとテレビコマーシャルでみた先生の姿に憧れ、プロを目指す事を決め、当時教えていらっしゃった桐朋学園大学を受験し、入学後ドイツに戻られた事を知り、愕然としながらもそこで蠣崎先生という素晴らしい師匠に出会い、大学3年生時に受けたコンクールの後、思いがけず電話を頂いたりしました。まさか電話を頂けるとは思ってもいなかったのでかなりビックリし興奮した声で話してしまった記憶があります。
桐朋学園大学の嘱託演奏員時代には小澤塾に呼んで頂き初めて一緒のステージを経験させて頂き、その後水戸室内にも呼んで頂いたり、家にお邪魔してパソコンの設定をしたり(笑)、東京音大の合宿に遊びにいったり、公私ともにお世話になりました。
以前の宮本文昭公式ページは先生の依頼を受け、僕が制作し管理人をしていましたが、ファンの方や入門希望の方々からとてつもない数のメールが届きました。特に東京音大で教鞭をとる事を記載したときの反応はとても多く、先生へメール転送するのも大変だった程です。
一昨年、初めてサイトウキネンに呼んで頂き御一緒させて頂いた時には、奇しくも宮本先生のサイトウキネンオーケストラメンバーでの最後のステージでした。小澤さんが宮本先生を指揮台に呼び、花束を渡した時には、僕はステージ上で号泣し、なんともいえない気持ちだったのを昨日の事の様に思い出します。
先生のレッスンは数えられる程の回数しか受けておりませんでしたが、それも含めステージでご一緒した時のアプローチや、音楽、空気感、立体感など、本当に沢山の事を音で教えて頂きました。
宮本先生に憧れ、オーボエ奏者を志した田舎出身の僕が、先生の隣で一緒に演奏できた事はいつまでたっても夢の中のようで、何かの間違いだったのではないかと今も思います。
どんな時も音楽には厳しく、でもプライベートでは気さくで気配りのきくお人柄は、先生の音楽そのものに出ているような気がします。そんな先生が引退というのは本当に悲しい事ですが、その引き際も先生ならではだと感じます。
そんな引き際を目の当たりにすると、僕なんかとっくにオーボエやめてなくてはいけないのではないかと半分本気で考えてしまいましたが、もう少し頑張ってみようかなと今は思います。夢を諦める事だけはしたくないですからね。。。。。。これからもっと真面目に、もっと真摯にオーボエに取り組もうと思います。
先生。本当に本当にお疲れさまでした。